答え合わせは突然やって来る

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

10 年とはどんな時間なのか

 十年ひと昔と言うように、10 年という月日は、周囲や世の中、そして自分自身も、世代が変わったと感じる程度に長い時間だと間違いなく思います。

 では、世代が変わったというのはどう言うことなのでしょう。それは、新しく始めたこと等が区切りを迎えることが何度か繰り返され、当初遠く大きく思い描いた何かに一定の形が与えられる事だと思います。

 ビジネスの世界に当てはめるならば、10 年あれば、新しい何かが生まれますし、一方それまで主流であった何かがメインストリームから外れることも不思議ではありません。ガラケーからスマホへのシフトも、そうしたことの一つかもしれませんし、説明書きが文字情報から動画へとシフトしているのも、一つの区切りと言えるかもしれません。

 10 代の子供であれば、ランドセルを背負っていた子が、自分で色々な所へ出かけられるようになり、早ければ一人暮らしを始めたり、働き始めたりする時期かもしれません。何か資格を取ってそれを元に仕事をする場合、勉強を始めて資格を取得し、実際その資格を使って仕事をして、周囲にも資格を使ってい仕事をしていることが認知される期間となるでしょう。実際には、10 年はかからないかもしれませんが、5 年ではなかなか難しいかもしれません。あるいは、博士号を取って、その道の研究者として活躍するにも、大学入学から考えれば9 年、大学院でも 5 年ほど必要のなる場合が多いと思います。

 このように、それなりの(遠大ではない)大きな目標の実現を考えるのにちょうどよい時間的スパンが 10 年だと思いますが、同時に、何かの実現だけには少し長い時間でもあると思います。では、目標の実現だけでなく、何があって 10 年となるのでしょうか。それは、停滞の期間、ではないかと思います。

 

停滞の向こうには

 停滞の期間と言っても悪い意味合いではなく、物事が自動的には上手く進んでくれないとか、自分できちんと見直してみる必要がある時期という意味です。そういう意味では、停滞とは不確実と言いかえることも出来るかもしれません。その期間が 10 年間のうちどの程度になるのかはそれぞれだと思います。
 物事には良い時も悪い時もある、という見方は、あるいは、四季のある国で生まれ育ち、そういう変化を経験してきた先人たちの言葉を、古典という形で受け継いでいるからかもしれません。自然現象には周期性を伴うものが確かに存在しますが、それを人間の世の活動にまで拡張できるかどうかは、どちらかと言うと、その人の世界観によるかと思います。それでも理由はさておき、物事には周期性がある、あるいは世の中は無常であるという世界観に、私は大いに肯定的です。
 ただ現実問題として、その停滞が、その後の衰亡の始まりなのか、飛躍の予兆なのかは、振り返ってみて初めて分かるもので、予め分かりません。限られた時間を生きている私たちにとって、また結果までどの程度の時間を許容できるかによって、受け入れられる停滞は変わるでしょう。個人の印象に過ぎませんが、日本の世の中の全体的傾向としては、不確実を余り許容せず、予定調和を好む傾向がどんどん強くなっているようにも感じられます。

 

答え合わせは突然やって来る
 色々な区切りや目標の実現を重ねることは大切ですが、その折々の区切りの蓄積がどんな形となったのか、10 年という月日は私たちに突然突きつけてきます。そうです、転機と同様、答え合わせはいつでも突然やって来ます。あるいは、少なくともそのように見えます。
 区切りや目標の実現を重ねながら、それをスタンプラリーのように集めるのか、あるいは、集め積み上げながら、より大きな一枚の絨毯へと縫い上げるのか。それは二者択一の選択ではなく、程度の問題だと思いますが、その程度にこそ個性が表れるのかもしれません。 

 

ということで自分の 10 年を振り返って

 最初からこれを書けば良さそうですが、長い前置きとなりました。

(変わったこと)転職、子供の成人と一人暮らし、自分の体力が落ち始めた

(変わらなかったこと)好きなこと、やりたいこと、やり方の好み(興味のあることをきっかけに色々なことを追いかけてみる。走ること、言葉を使って何かをするなど)

 

 本日も最後までお付き合いどうもありがとうございました。