夜明け、有明、裸の月 - 2020.11.14 -
朝に昇る夜明けの月
昨日一昨日は昼間晴れていた分だけ、朝は放射冷却で冷えていましたね。
日の出にはまだ遠い朝 5 時、東に向かう車のフロントガラスには、それはそれは細い月が見え続けていました。今朝の月齢は「28」。もしこれが明日だったら、新月で何も見えないところでした。
もっとも、たまたま目に入ったというだけでは多分記憶に残ることは無かったと思います。けれど通勤の小一時間、ずっと景色の一部になっていると、意識することのなかったものが、自分の中で少しずつ形を取り始めます。例えば、「そう、こういうのを『有明の月』と言うのだろう」、など。
月と歌
月は、今も昔も様々な形で歌に詠まれていますが、待てども遅い月の出や、出たと思えばほどなく見えなくなってしまう有明の月は、平安の頃には通い婚や恋の切なさつれなさとは相性抜群、その景色には必ず登場する、詠み手を映し相手を写す鏡であったのかもしれません。
我ならむ 人もさぞ見ん 長月の ありあけの月に しかじあはれは
『和泉式部日記 手習』
(私だけでなく、あなたもそう思ってみるのでしょうか。
長月の夜明けの月ほど、心にしみじみと沁み入るものはない)(拙訳)
住みなれし 人影もせぬ 我が宿に ありあけの月 幾夜ともなく
(ずっと通ってきていたあの人の気配が消えた我が家に、夜明けの月が
幾夜となく澄んで照らして)(拙訳)
和泉式部を例に挙げた段階で恋の歌になってしまいますが、秋から冬にかけた夜長に、自分の内面と取り囲む景色を眠ることなく見つめ続けていると、こうした時を超えて心に触れる言葉が生まれるのだと思います。
また、満ち欠けを繰り返し巡り行く月に、取り残された想いを映した歌もあります。
月やあらむ 春や昔の春ならむ わが身ひとつは もとの身にして
(月は昔の月ではないのだろうか、春は昔の春ではないのだろうか。
私だけが昔のまま取り残され、私以外のものはすべて
変わってしまったのだろうか)(拙訳)
月や季節が変わって見えるのは、他ならぬ自分が変わってしまったということ。今の自分を照らし、映す鏡に愕然とし、驚かされるのは、今も昔も変わらないようです。
『裸の月』lela
昔の歌もさることながら、夜明けの月を見て、頭の中に流れたものは、10 年ほど前になるのでしょうか、lela の『裸の月』という曲、名曲です。
月はやっぱり独自の世界と不思議な浮遊感を与えてくれる存在なのかもしれませんね。
日を追うごとに夜が長くなり、少しずつ寒くなっている天気のことを書くはずだったのですが…。
本日も最後までお付き合いありがとうございました。